【4月23日は地ビールの日】 知っていますか?20数年前、日本に地ビール(クラフトビール)が無かったことを。
ビール好きの皆様、今日4月23日は何の日かご存知ですか?
今日4月23日は地ビールの日。

この記念日は、日本地ビール協会を中心とする「地ビールの日選考委員会」によって
1999年に定められた記念日です。
1516年4月23日にバイエルン国王ウィルヘルム4世が発布した「ビール純粋令」により
ビールの原料が水、ホップ、大麦・小麦の麦芽、酵母と定められ
“ビールとは何か”が世界で初めて明確に定義されたことに由来します。
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今、日本では200を超える地ビール会社が各地でビール造りを行っています。
クラフトビールという新たな呼称ができ、世界の大会で入賞を果たすビールが生まれ、
各地の地ビール祭の来場者は年々増え、地ビールを樽生で提供するビアバーも増え、
“第二次地ビールブーム”と言われるほどの盛り上がりを見せています。

でもほんの20数年前、日本には地ビール(クラフトビール)が存在していませんでした。
私たちが造りたくても、造ることが認められていなかったのです。

日本で地ビールがつくれるようになったのは1994年。
いわゆる“地ビール解禁”以降のことです。
地ビールは何の前触れもなく突然造れるようになった訳ではありません。
その背景には日本の産業規制との戦いがありました。






「それはもう衝撃的な美味しさで、これまでの人生損していたと思った」
90年冬、アメリカで生まれて初めて地ビールを飲んだサンクトガーレン先代の
岩本光生(享年72歳)はそのときの感動をそう語ります。
そして、なぜこんなビールが日本にないのかと、
すぐさま彼は息子(岩本伸久/現当社代表取締役)らとともに
日本でビールづくりの道を模索し始めます。

「これ以上ビール会社はいらない」
当時、財務省が言い放ったセリフで、その理由を示す書類には
“酒税の安定確保のため中小ビール会社の乱立は好ましくない”
というようなことが書かれています。
ビールを造るには免許が必要です。当時、その免許を取得するためには
年間2,000キロリットル以上のビール製造が求められていました。
それは大瓶に換算すると約316万本、1日に約8,700本を売らなければいけない計算です。
これほどの量のビールを造って販売できる会社はそうはなく、
当時日本ではビール業界への新規参入は実質的に不可能でした。

「日本でつくれないなら、アメリカでやればいい」
93年、当社は地ビールの盛んなアメリカでビール免許を取得し
サンフランシスコにブルワリーを設立。
日本人がアメリカでビールづくりをはじめた情報は
TIMEやNewsweekなどの現地メディアで話題となりました。

「ビールづくりの夢はかなった。ただしアメリカで」
日本人がアメリカでビール会社を立ち上げたニュースは、
やがて日本のメディアにも飛び火します。
テレビのコメンテーターや世論はこぞって
「日本人が日本でビールを造れない」状況を糾弾するようになります。
それがきっかけとなり、94年にビールの免許取得のための基準が
2,000キロリットルから60キロリットルへと大幅に引き下げられました。
これがいわゆる“地ビール解禁”、日本のクラフトビールの幕開けです。
もし、あの時…
もしあの時、日本の産業規制と戦う人間がいなければ
日本でこんな風に地ビール(クラフトビール)を楽しめる日は来なかったかもしれません。

そんな歴史に想いを馳せながら、地ビールの日に乾杯!
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